谷中ショウガのルーツを訪ねる

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昨日は谷中ショウガの故郷を訪ねた。

谷中は日暮里駅の近くだが、東側は高層ビルの建設ラッシュ。西側は、昔ながらのたたずまいで、ゆったりと散策が出来る。

谷中には寺が多い。江戸時代からの有名人の墓もたくさんある。朝倉彫塑館などは月曜日で休館だったので、狩野芳崖の墓、幸田露伴の書いた五重塔の礎石(昭和になって放火で消失した)などを見ながら、芋坂を下って、森鴎外の小説にも出てくる羽二重団子の本店に行ってみた。団子を食べながら店内を見回すとと、「お申し出の方に、初午お神酒を無料で差し上げます」という張り紙があった。そういえば、今日は初午だったのだ。日本庭園のてっぺんに建てられているお稲荷さんに続く道に、手描きのボンボリがいくつも飾ってあったのもそのためだ。お稲荷さんは、五穀豊穣や福徳をもたらしてくれる神様なので、今年の家庭菜園の豊作祈ってお神酒をいただいた(本当は飲みたかっただけだ)。 ちなみに、江戸時代は、火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞といわれるほど稲荷信仰が盛んだったそうだ。(いまでも、犬の糞なら私の家の近くにもたくさん落ちているが……)

さて、羽二重団子を出て元の道にもどり、三崎坂のいせ辰(江戸千代紙)を回って、谷中銀座の鈴木精肉店でメンチカツ、翠屋(武関花籠店:竹工芸)で根付などの買い物をした。
谷中銀座は、たびたびテレビなどで放映されているが、北改札口を出て数分のところにある。銀座といっても、中央区の銀座と違って、車1台がやっと通れるほどの狭い通りだ。その両側に、日常品のや惣菜店などががひしめいている。いかにも庶民的な商店街だ。
ところで、本命の谷中ショウガだが、いまは谷中ではショウガが作られていない。もともとは、日暮里駅が出来たころは、西側(谷中)は丘陵地で東側(日暮里駅前)は沼田だったそうだ。谷中ショウガは、駅前の方で作られていたそうだ(地域雑誌「谷中・根津・千駄木」)。その駅前も今はビルラッシュ。ショウガなど作れるはずもない。

それでは、先日、都内で買った谷中ショウガはいったいどこから来たのか。また、新たな疑問がわいてきた。野菜のルーツを訪ねる首都圏のポタリング(ポタの散歩)も前途多難だ。

(ビルとお神酒は携帯についているカメラで撮影しました)

コメント

  1. もいもい より:

    地の利がないと
    東京も伝統的な地名が多く残っているのでしょうが、いかんせん地の利がないとイメージがわきませんね。
    地名が付いた野菜が残っていることは、その場所がどんなに変わろうと良いことだと思いました。

  2. ポタ より:

    もいもい さま
    伝統野菜の見直しが地方でも盛んですが、江戸やその近郊の地名が残った野菜も多いです。産地は失われても、なんとか、そんな伝統野菜の種は残したいですね。

  3. 吉ちゃん より:

    Unknown
    私の実家は谷中の近くですがもう家が建ちすぎて“谷中のしょうが”を作る畑もないでしょうね。
    元祖谷中しょうがの種があちこち栽培されているのはそれだけ美味しいのでしょうね。

  4. ポタ より:

    吉ちゃん
    実家が谷中の近くだったんですね。たまに歩きますが、まだまだ古きよき時代の名残はありますね。
    谷中ショウガは小ショウガの部類でしょうか。大ショウガなどと違って香りがあって美味しいですね。

  5. 京の子 より:

    Unknown
    谷中のしょうが・地方発送してくださる所はありませんか?

  6. ポタ より:

    京の子 さま
    どこから仕入れてくるのかを解明しないと無理ですね。八百屋さんで売っているものも、本当に谷中ショウガといわれるような商品なのかどうかも、疑わしいものがあると思われます。